残虐性についての話
 Topic of about cruelty
September 30, 2007
 少し前にやなぎさんのブログでも書かれていましたが、京都で起こった父親殺害の事件の煽りを受け「スクールデイズ」と「ひぐらしのなく頃に解」が放送休止に追い込まれるという出来事が起きました。
 毎回のごとくこういった事件が起こるたびにアニメや漫画などのメディアが槍玉に挙げられることに疑問を感じていたのですが、正直また今度もか…と思ってしまいました。
 もちろん引き起こされた事件自体に意を挟む余地はないのですが、事件が起きるたびにすぐに漫画やアニメ等が「原因」と決め付けられてしまう現在の風潮に対しては疑問を持たざるを得ません。
 確かに今回の事件に関してはアニメ等の影響を受けた可能性が指摘されていますが、少年期において身近に存在するアニメや漫画をすぐに犯人と決め付けてしまうことは大きな危険性を含んでいると思います。
 今回の事件、むしろ問題視するべきは殺人を引き起こすまでに膨張したフラストレーション、残虐性を抑えるべきの理性を作る「教育」や「コミュニケーション」が機能しなかった点が問題であり、漫画やアニメはそれの単なる媒体でしかありません。
 たとえ漫画やアニメを排除したところでその残虐性や殺人を引き起こすまでの理性の欠落が解消されるわけでは決してないのです。
 今の風潮は漫画やアニメを悪人と決め付け、スケープゴートにすることによって本来問題になるはずのコミュニケーションの不足、教育問題から安易に目をそむけようとしているようにしか見えないのです。

 …とここまでは事件に関することを話しましたが、現在のアニメや漫画側にも問題が無いかと言えば一概にそうだとも言えません。
 現在ではテレビで放映されるアニメや残虐性を主とするコミックメディアには年齢制限が設けられおらず出版社側、製作会社側の裁量に任せられているのが現状です。
 今回休止となった「スクールデイズ」の最終話は、深夜帯に放送していることを踏まえても全年齢向けの範疇を超えた残虐性を含んでいたと言わざるを得ません。(ゲームに関しては年齢制限があるのでそこまで問題ではありませんが…)
 内容表現に関しては確かに新しく、衝撃的で良い作品なのですが、これがなんの規制も無い地上波で放送されることに関しては疑問が生じます。(もちろんそれはアニメだけではなくドラマでも他の媒体でも同じです)
 昔より表現と規制は互いの範囲を争い合ってきた歴史があります。この表現に関しても双方の折り合いが着く決着点を見つける必要があるといえるでしょう。
 ただこういった問題から安易に過度な規制を設け、表現の萎縮につながることだけは避けてほしいと思います。
 問題は判断能力、抑止能力の未成熟化を引き起こした「教育」「社会」など他の部分にも隠れているのですから。
 ではまた。

 絵に特に意味はありませんがね。ええ。
 最近の問題の真相は現実と仮想の世界の区別がつかなくなったというより、「いのち」を感じるリアルから遠く離れてしまったつけだと思います。
 満たされ過ぎて人のいのちの大切さが曖昧になってしまった、満たされて満たされて不幸に落ちていく。
時間にしろ、いのちにしろ、この世にあるものは皆大切なものなのにねぇ。
(´・ω・`)…。


旅の道トップへ戻る
Calender


Search in a site

Google


WWW を検索
旅の道内を検索

List of purchases
Profile

Author:竹馬新太郎

つれづれなるままに絵を描いたりと
いろんなことをやっております。
ご意見ご要望はこちらまで
当サイトはリンクフリーです。


Link

やなぎゆきつぐさんのプログ
神在月

みゃさんのブログ
みゃ記 - 秩序のないユーザーに
ファイアボルト -


Monthly archive

2007年5,6月(11)

2007年2、3、4月(14)

2007年1月(7)

2006年12月(10)


Mobile site
携帯版 旅の道第三停留所

旅の道第三停留所の
携帯用サイトです。

in which it is interested

Various sites besides travel, reasoning, photograph, and illustration